困った相談者たち

先日、動物病院の待合室で順番を待っていると、こんなことがありました。

ある一人の患者さんが受付にやって来て、
「○○先生をお願い。ちょっと、訊きたいことがあるのよ。」
と言いました。
受付の人が、それでは診察券を出してお待ちくださいと言うと
「なんで?ちょっと聞くだけなのに待たなきゃいけないの?ちょっとだけなのよ、ちょっと。」
とごねていました。

その様子を見ながら私は、ああ、歯科医院や学校の相談室でもそんなことがあったなぁと思い出していました。
「ちょっと仮歯が取れただけなんだけど。」
「息子が学校がいやだというから、ちょっと話を聞きたいと思って。」
皆さん一様に「ちょっと」と口にします。
「ちょっと」聞きたいことだけ聞いたら帰るから。
「ちょっと」仮歯をくっつけてもらいたいだけだから。
気持ちは分かります。でも、これは自分側のことしか考えていません。
相手のことを考えていたとしても、
「ちょっと」手を休めて来てくれればいいのに、
「ちょっと」診てくれればいいのに、
くらいに簡単に考えているのでしょう。

動物病院も歯科医院もカウンセリングを行う相談室も、皆さん順番を待っています。
スタッフは順番をスムーズに回すために、なるべくお待たせしないために、頑張っています。
そこに「ちょっと」と言いながら誰かが割り込んで来たらどうでしょう。
それまでずっと待っていた方を、さらにお待たせしてしまうことになります。
それに、相談を聞くのも診察をするのも簡単には済みません。
安易な答えを出さないよう相手の状況や訴えを慎重に聴かなければなりませんし、
診察も診察台を消毒し、器具を用意し、症状を伺って、必要とあれば別の治療方針を立て…と、
一般の人が思うほど手軽ではないのです。
以前、「インスタントに問題解決を求める人達」という記事を書きましたが、
「『ちょっと』、そこのティッシュ取ってくれない?」
という感覚では行かないのです。

 

今回このような話を始めたのは、私も大変困っているからです。
世の中には、相談だけなら、見て(診て)もらうだけならタダと思っている人達がいます。
かつて普通の歯科医だった頃、突如近所の人が、
詰め物が取れたとか入れ歯が壊れたとかで私の自宅にやって来ることがありました。
痛かったり噛めなかったりしては困るでしょうから私も何とかしてあげたいですが、
それならば医院に来てくれれば良いのです。
なぜ自宅にいきなりやってくるのか。
医院を通すとお金がかかるからです。
医院で正式な診療を受けると順番を待たねばならない上に、処置や修理にかかるお金だけでなく、
初診料や再診料、その他もろもろの費用がかかります。
そうしたものが惜しいから私の自宅までやって来るのですが、自宅は診療所ではありません。
義歯の修理や仮詰めを直すくらい技術的にはできますが、正式な診察もなくそれを行って料金を頂く訳にも行かず、
決して安くはない材料費もかかりますし、そもそも自宅にいるときは勤務時間外ですし、
向こうは向こうで「ご近所なんだし、いいでしょ?」という調子ですし、本当に困りました。
また、患部写真を何枚も撮ってメールに添付して、
「症状は~で~で~です。見た感じは写真を見てくれれば分かります。
近所の医院では○○と言われました。セカンドオピニオンを無料でお願いします。」
と、これまたいきなり送り付けてくる人もいました。
セカンドオピニオンを頼むのも、相応の料金が要るものなのですが。

さて、普通の歯科医師を経てカウンセラーや動物の仕事も行うようになった私ですが、
仕事の領域が広がった分、この手の悩みに見舞われる回数も増えました。
特にカウンセリングや相談は「話を聞くだけ」と思っている人が多いせいか、
そこに対価を払おうという意識がない人が多いようです。
「Ataraxia」として、カウンセリングや相談を仕事として行っているということを知っていながら、
Ataraxiaを通さずに私に直接メール等で相談を送って来る人が後を絶ちません。
そう、歯科医院を通さずに自宅にやって来るご近所さんと同じです。
この類の人達は事前に「相談してもいいでしょうか」という伺いを立てず、
いきなり相談の内容を送り付けてくるので閉口してしまいます。
私の姿を遠くからでも見かけるなり追いかけて来て、相談をしてくる人もいます。
私も困っているのなら手助けしてあげたいですし、あまり世知辛いことも言いたくないので、
最初の内は「お試しサービス」的なつもりでご相談に応じることがほとんどです。
でもこの類の人達は「タダで相談に乗ってもらって悪かった」という意識はないのでしょうか、
二度、三度と繰り返して直接に相談して来ます。
「一度聞いてもらえたのだから、これでいいんだ。タダでも聞いてもらえるんだ。」
と解釈してしまう人もいるかも知れませんので、あまり繰り返す人には
「これ以上はごめんなさい、私もこれを仕事として行っていますので」
と言うのですが、あまり気付いてはもらえません。

「相談くらいタダでもいいじゃない。減るものじゃないし」
と思いますか?
減るのですよ。

相談をして自分の話を聞いてもらうということは、相手の時間をもらうということです。
相手の貴重な時間の分の対価が必要になるのは当然のことです。
友達同士でグチを聞いてもらうというシーンでも、
「話聞いてもらって悪いね。ここはおごるよ。」
ということが良くあるでしょう。
専門家に相談する場合は、それでは済みません。
「専門家なんだから、簡単にすぐ答えられるでしょ?」
「知っていることを教えてくれるだけだから簡単だよね?」
と思っている人の何と多いことか。
まず、相談者が知らないことを「知り」、「身につけ」、「答えられ」、やがて専門家と認められるまでの間に、
どれだけの時間・費用・努力などの労力がかかっているか考えたことはあるでしょうか。
世の中には知識はタダだと思っている人がいますが、違います。
辞書を買うにもお金がいるのと同じ、しかもあまり安くない、と言えば分かりやすいでしょうか。
専門家の知識を「利用」するためには、専門家が専門家たるまでに費やした労力分の対価が必要になるのです。
さらに専門家は、自分の答えに責任を持たなければなりません。
例えば体調で気になることについて、健康に少し詳しい素人に聞いたが間違っていた場合は
「なんだ、○○さんの言ったこと間違っていたよ…。」
で済むでしょうが、医師であれば「正確な」アドバイスを求められますし、そうでなくてはなりません。

正確なアドバイスを出すためには、まず診察をし、検査をし、診断をしなければなりません。
知っていることを述べるだけなら簡単ですが、それがその人に合った情報とは限りません。
その人に合っていない情報を実行してしまったがために、かえって事態を悪くすることも少なくないのです。
もし頼まれるがままに医師が十分な診察もなしにアドバイスをしてしまい、それが間違っていた場合はどうなりますか。
「あの医者の言ったことが間違っていたせいで!!」
となるでしょう。
そうならないように、良識ある専門家であればあるほど安易なアドバイスは行わず、慎重であるものです。
また、知らないことを訊かれた場合はどうでしょう。
「少し詳しい素人」と違い、専門家はそれで仕事をしているので、何らかの答えを出す必要があります。
調べたり、その分野に詳しい別の専門家に照会や紹介をしたりします。
調べるにしても、出所が定かではなく根拠にも乏しい情報は使いません。
私達専門家は、きちんとした出所と根拠を示せる専門書や論文にあたりますが、それも相当の手間と費用がかかるのです。

「ちょっと聞くだけ」のつもりかも知れませんが、
その「ちょっと」の背景にはこれだけの労力と費用と責任がかかっているのです。
それを「無料で」ということは、それらの労力・費用・責任の分を
専門家が自腹を切っているということを知って欲しいと思います。

さらに大事なことがあります。
冒頭で述べたように、私達専門家の仕事にきちんと対価を払い利用して下さっている方々がいます。
同じ相談、同じ技術でも、ある人は正規の料金を払い、ある人は裏口からやって来て無料で、では不公平ではありませんか。
無料で利用できてしてやったりと思う人でも、
自分がお金を出したものを他人が無料で手に入れていたら、悔しいと思うでしょう。
それに、「ちょっと」と言いながら間に入って来る人がいるために、
お金も払ってお待ち下さっている方々へ割ける時間・労力、費用が圧迫され、提供できるサービスの質が低下してしまいます。
そういうことはあってはなりません。
つまり、「ちょっと聞くだけ」の軽い気持ちが実は軽いものでは全くなく、
専門家にも、その患者さんや顧客など他の方々にも迷惑をかけてしまうということを、よく考えて欲しいと思います。

それでも、中にはこういうことを言う人もいます。

「でも…友達からもお金を取るの?」

「友達だからオマケしておく」というのはよくあることですね。
しかし、その人がオマケをしてもいい対象であるかどうかは、サービスを提供する側が決めることです。
私もこれまで数人の友達にオマケや無料でのサービスをしてきています。
それは、その友達が友達として私に何かを与えてくれたお礼の気持ちからです。
友達がくれたものは、友情の温もりであったり、私が行動を起こすきっかけであったり、励ましであったり。
そういう情緒的な絆を築いてもいないのに「友達だからタダだよね」と言う人は、
むしろ相手の専門性を軽んじる、友達とも呼べない人だと私は思います。
それゆえに私は、相手が友達であっても、友達であるからこそ、
その人の専門性にお世話になるときには正規の対価を支払います。
それがその人への敬意だからであり、今後もお互いに気持ちよく相互の専門性を使わせて頂くことにつながるからです。

また、こんな事を言う人もいます。

「無料相談など無償でサービスを提供している所もあるのに?」

最近、スマホアプリのレビューを見ていて寒々とすることがあります。
「無料で十分なので、無料サービスの機能の充実をお願いします」
「有料版はいりません。課金しないと広告が外せないとか信じられない」
などなど、厚かましいとも言えるようなレビューを随分見かけるようになりました。
このように無料で使えるサービスが増えている昨今、
無料で何かの恩恵を受けられることに何の疑問も感じなくなる人も増えて行くのでしょう。
無料でサービスを提供できるのは、その運営資金が別のどこかからか出ているか、
無料サービスを提供することで何らかの利益や見返りを受けられるからです。

例えば学校のスクールカウンセリングでは、生徒や学生個人からカウンセリング料を頂くことはありませんが、
それはカウンセラーに学校や自治体などから報酬が出ているからです。
にもかかわらず、卒業生やその保護者から
「在学時と同じように無料でカウンセリングして欲しい」と言われると困ってしまいます
(が、本当にこういうことがあります)。
一般企業の無料サービスやフリーのアプリも、広告収入で運営していたり、それを提供することで企業の知名度を高めたり、
ユーザーの個人情報やデータを収集できたりというメリットがあるからなのです。

「誰かの役に立つためにその資格を取ったんじゃないの?」

これは質問する側にとって都合のいい質問です。
多くの人は「誰かの役に立つ仕事」をするためにその資格を取るのです。
資格をボランティアで活かしたいという人もいますが、
病気やケガで苦しむ人を助けたくて医学部に行く、弱者を法律で守りたくて弁護士になる、など、
ほとんどが「役に立つ仕事」に就くためにその資格を取るのでしょう。
しかし、
「人の役に立つとは無償であるべし。儲けるのは悪いこと。」
という考え方をしている人が少なくありません。
自己犠牲や見返りを求めない姿勢に清廉さを感じる文化や宗教観が、そうした考え方を作り上げ広めたのかも知れません。
ですが前述の通り、相当の努力をしてその資格を得、高度な技術や知識などを提供しているのですから、
相応の報酬を得るのは当然のことです。
本当に完璧に何の報酬も見返りもなく人に尽くそうとしたら、即身仏にでもなるしかありません。

 

 

Ataraxiaを大リニューアルしました

リニューアルに際し、これまで個人で請けていたカウンセリングをAtaraxiaとして始めることにしました。
これはAtaraxiaを始めた当初から計画にあったことではありましたが、遂に実行に移すことにしました。
動物と人との関わりを見ていくにつれ、やはり動物の幸せを左右するのは人、 飼い主の安定・不安定なのだと実感しました。
普通の暮らしをして普通に動物を飼っているようであっても、
ちょっとしたしつけのトラブルが飼い主さんの精神状態と大きく関わっていたり、
飼い主さんの生活上の不安が動物の問題を深刻化させているようなことがたくさんあります。
動物が幸せになるためには人が安定すること、人が幸せになるためには動物が安定すること。
世間では、人への医療や援助は崇高なもので、動物についてはそれよりも下位のものと思われている節があります。
Ataraxiaでは、人も、動物も「心の平安」を目指します。
従来では人への援助と動物への援助は全く違う業界、業種でしたが、あえてこれを区別せずに手がけます。
元々、心理面やカウンセリングは私の本領です。
人のための動物でもなく、動物のための人でもなく。

人も、動物も、幸せになるために。

Ataraxiaの新しいチャレンジ、どうぞ応援よろしくお願い致します。

 

 

インスタントに問題解決を求める人達

犬を飼っている方々からは色々なご相談を寄せられます。
そこでしばしば感じるのは、 手軽で簡単に問題を解決する方法を求めている方々が少なくないことです。

よくあるのが、
「うちの犬の噛みつきを止めさせたいんだけど、どうすれば止めさせられますか?」
といった類の質問です。

たとえば犬が噛みつくのにしても、色々な原因や背景が考えられます。
子犬の頃の甘噛みの癖が抜けなかった、社会化が不十分だった、噛みついて遊ばせる癖をつけてしまった、
あるいは飼い主との信頼関係、主従関係、人間に対する嫌悪感、恐怖などなど…。
こういった、その犬の成育歴や人との関わり、これまで行ってきたしつけなど総合的に伺ってから問題の原因と対策を考えるものです。

当然、これらのことを伺う必要性をお話ししていくのですが、
そうするとみるみるテンションの下がっていく飼い主さんがいるのです。

こういった方々は、問題に対してインスタントに答えが出ることを求めているのですね。

Q. 「犬が噛みついたときはどうすればいいですか?」
A. 「噛みつかれたらその手をゲンコツにして、犬がオエッとなるくらい口の奥まで突っ込みましょう。」

のように。

話は変わりますが、私は元々歯科医師でした。
今でこそ歯と歯肉の健康と体の健康に関連があることが一般的にも知られ、
歯科治療での問診で全身の病気の有無などについて伺うことにも疑問を持たれなくなりましたが、
かつては

「なんで歯の治療で体のことまで聞かれなきゃならないの」
「悪い歯だけチャッチャッと治してくれればいいんだよ」

という患者さんも少なくありませんでした。
現在でもこういう姿勢の患者さんはいらっしゃいますが、
概してこういう方は自分自身の健康についてもあまり意識を払わないタイプが多いようです。

さらに私は学校でのカウンセラーも行っていましたが、ここでも同じようなことを経験しました。
例えば

「娘が不登校なんですが、どうしたら学校に行くようになりますか?」

という親御さんからのご相談です。

子供が不登校になってしまったのも何らかの原因があるわけです。
こういうときは親御さんの相談だけでなく、不登校になったご本人のカウンセリングや
学校や周囲などへの働きかけも必要です。
ところが親御さんによっては、まるでどこかに「不登校解除スイッチ」でもあるかのごとく
「これをしたら不登校が解決する」 という方法を求めているのです。
そして悲しいかな、こういうケースの不登校は、原因が親や家庭にあることも少なくないんですね。

話を戻しますと、これら「犬と飼い主さんの話」「患者さんの話」「子供と親御さんの話」には類似点があります。
それは、

問題の原因や背景、環境まで深く考えて取り組む姿勢があるか否か

ということです。
言い換えれば、これらの人々は方法論しか求めていないのです。
(カウンセリングでは問題の原因にはあえてアプローチしないという方法もありますが、
ここではそれについての論は省きます。)

冒頭で例に挙げた「噛みつく犬」で言えば、 元々人間への不信やトラウマがあった場合は別として、
飼い主さんが方法論だけでなく、犬と人との関わり方や環境づくりに気を配る人であれば
こうはならなかったかも知れません。

歯の治療にしても、全身の健康状態や生活習慣に気を配っていれば、
口腔内の健康状態ももっと良かったかもしれません。

不登校の例にしても、親として子供ともっと向き合い、子供を操作するのではなく
子供の気持ちをよく汲み取り、家族を機能させるようにできれば、状況は違っていたかも知れません。

起きてしまった問題の多くは、手軽に簡単に解決できるようなものではなく、
それが「問題」となって表面に出るまでに蓄積されたものの分だけ、
解決に時間も労力もかかるものだと心得て欲しいと思います。

だからこそ、小さな異変を放置せず、問題が問題になる前に対処することも意識して欲しいのです。

私は、そのお手伝いをするために活動しています。