優しさ、強さ。

4月。 そろそろ、よく行くドッグランの会員更新の時期がやって来ます。
そこで思い出されることがあります。

チワワの子犬を連れた飼い主さんでした。
その子を抱いて、よく柵の外からドッグランを眺めているのでした。

ある日ふと声をかけてみました。にこやかで物腰の柔らかな、とても感じのいい方でした。

「ドッグランには入らないのですか?」
「ええ…まだ子犬ですので。」

ん? 聞くとワクチン接種はもう終わっているそう。
そのドッグランは1歳未満は利用禁止などの規約は無いので、社会化を考えるならもう遊ばせてみた方が良いような。
そんな話をしてみたのですが、飼い主さんは微笑みながら

「でも…まだ幼くて可哀想ですから。」

とおっしゃるのです。

「そうですか…いつ頃から遊ばせてみようと思われますか?」

と尋ねると、

「1歳になった頃がちょうど会員更新の時期なので、その時に入会しようと思います。」

と。うーん…。
せっかく度々ドッグランを見せに来ているのだし、犬の月齢的にも…と思うのですが
ドッグランが社会化の全てではないから、まぁ仕方がないか…。
お散歩でしっかり色々なものに馴らしていれば…

そこでふと気になるのが、その犬はいつも首輪をしていないのです。

「首輪やハーネスはどうされているのですか?」

なんだか心配で、ついつい聞いてしまいます。すると

「前に着けてみたんですけどね、もう嫌がっちゃって。それを見ていたら可哀想でねぇ。」
「おや、そんなに?何日くらい挑戦してみたんですか?」
「いやいや、何日なんてとんでもない。着けたらもう暴れるから、すぐ取っちゃいました。可哀想ですからねぇ。」

うーん…。
多くの犬が初めて首輪を着けたときは嫌がるものです。
首輪に慣れさせるためには、なるべく嫌がらないように手順を踏んで行きますが、
もし嫌がる姿を見せてもある程度は我慢させなければ、いつまで経っても慣れないのです。
そこでの「我慢」は、犬も我慢しなければならないし、人も我慢しなければならないのです。

「首輪やハーネスを嫌がるのでは、お散歩はどうされているのですか?」

「こうやって抱っこしたり、自転車のかごに入れて外に慣れさせているから大丈夫ですよ。
それにこの子はあまり歩きたがらないんですよ…。だから可哀想でしょう?」

「歩くときはリードなしでですか?」

「ええ、でも大丈夫なんです。この子はイイ子でしてね、
下ろして私が先に行くと、後からチョコチョコ付いてきて離れないんです。」

…ああ!突っ込みどころ満載で!!

抱っこしたりキャリー等に入れて外慣れをさせるというのはありますが、
それは社会化の初期の時期、まだワクチン接種が終わっていなくて外を歩かせることができない時期の話です。
なにごとも、見ているのと実際に自分でやってみるのとでは大いに違うように
犬にも見せるだけでなく、自分で歩かせて、嗅がせて、感じさせなければならないのです。

歩きたがらない。 それは当然でしょう。
こうやって飼い主さんが逐一気を遣って抱っこしてしまうから、
外を歩くということやその感触に慣れていないのです。
犬が怠慢になっていることも考えられます。
(人間の話でも、大きくなって歩ける子供をいつまでもベビーカーに乗せている親と子の問題がありますが、
それを彷彿とさせます。)

飼い主の後を付いていく。
これも別に脚側行進ができるというわけではなく、単に「怖いから飼い主の側を離れないだけ」なんですね。

この飼い主さんの根底には「可哀想」という思いがあります。
幼いから可哀想、首輪は嫌がるから可哀想、歩くのは嫌がるから可哀想…

お話をしたときに受けた印象通り、この方はとても優しい方なのだと思います。
〇〇だから可哀想と感じるのは、その相手をおもんばかる優しさがあってのこと。
しかし、その優しさが強すぎてしまうと、時にこのように間違った方向として表れてしまいます。

その対象を愛すれば愛するほど、つい甘くなりがちなものです。
だからこそ昔から、自らを戒めるために 「獅子は千尋の谷に我が子を落とす」 とか、
「かわいい子にはたびをはかせろ」 という言葉があるのでしょう。

蓮 「かばさん…違う!『たびをさせろ』でしょ!?」

…「かわいい子には旅をさせろ」 という言葉があるのでしょう。

社会化も首輪もリードも、その子を本当の意味で愛すれば必要なことです。
そこで、飼い主として、保護者としての少しの「我慢」ができることも必要です。
愛すればこその強さが求められるのです。

あの犬と飼い主さんに会ってから、もうじき2年が経ちます。
あれからしばらくして、まったく見かけなくなってしまいました。
社会化の遅れが災いして、とても外に出せない子になってしまったのか…
それともノーリードが災いして、何か事故にでもあってしまったのか…
悪いことばかり頭をよぎりますが、そういうことが容易に想像できてしまう状況でした。

飼い主さんがその子をとても慈しんでいるのは分かるだけに、
今もどこかで一緒に元気で暮らしていることを願わずにいられません。

この春はいつものドッグランでひょいと出会えたら…
そんなことを思うのでありました。